僕の為の嘘


 アポイントもなしで、響也の自宅を訪れたのは9歳年上の恋人、成歩堂龍一だった。
 怪訝な表情で扉を開ければ、やあと片手をあげた。

「…こんな時間に何の用?」

 深夜零時を過ぎたばかりだろうか、時計の針は申し訳程度に斜めに傾いている。
ついこの間、襟元につけていたバッジを外して転職したばかりの成歩堂は背広も脱ぎ捨てて、ネズミ色のパーカーにズボンという出で立ちだった。
「君にあげるなら一番最初がいいと思ってね。」
「何を、か聞いていいかい?」
 年上なだけに、飄々として掴めないところが多い男だ。響也は唇を尖らせる。
「うん?まあ、貰い馴れているからわからないかな?まあ、玄関で話すのも何だし入るよ。」
「ちょ、ちょっと…。」
 家主の許可も取らずに部屋へ上がり込む男に、しかし響也はため息ひとつで済ませる事にした。気に障る言動があったとしても、好きでおつき合いをしている相手がすることだ。大目に見れない位なら別れてしまったほうがいい。  スタスタとふたつある部屋のうち、普段リビングとして使っている部屋へ向かうと、成歩堂はくるりと振り返った。

「はい、これ。」

 赤いリボンのついた小さな小さな箱。響也が即されて出した掌に置かれる。
「わかんない?ほら、チョコレート。」
 成歩堂の口からそう告げられても、響也はきょとんとしたままだ。
「あれ?嬉しくない?」
 苦笑した成歩堂に、ハッと我に返った響也が申し訳程度に首を横に振った。
「…あんたが…」
 ぼそりと小さな呟き。
「あんたがくれるなんて思わなかった。」
「そう?僕は響也くんにあげようと思ってたよ。君はいっぱい貰うだろうからね、あげるなら一番最初にしようと心に決めていた。」
 説明を加える度に、本気でしょんぼりしだした相手に成歩堂は頭を掻いた。普段の行動から、自分がバレンタインなんぞに固執するタイプだと思わなかったのか、可哀想なくらい落ち込んでいる相手にはどうにもツッコミを入れにくい。
 恐怖のツッコミと呼ばれた自分が、こうも検事に生ぬるいとは、恋とは本当に恐ろしい。

「君も受け取ってくれたし、じゃあ帰ろうかな。」

 少しばかりの未練はあったが、気にしている以上長居は無用と判断する。ヒラと手を振り背中を向けた瞬間に、上着をひっぱられ立ち止まった。
「…待って…その。」
「何?」
「だから、待ってっての!」
  そう叫ぶなり、響也は成歩堂の服から手を離し、バタバタとスリッパの音を響かせてもうひとつの部屋へ飛び込んだ。成歩堂が首だけ背後に向けていれば、紙袋を片手に戻ってくる。
「お客様を手ぶらで帰したら、兄貴に怒られるから…。」
 ひと呼吸おいて、ぐいと背中に押しつけてくる。
「ひょっとして、それってチョ…「たまたま、だから!」」
 怒鳴り声に目を丸くした成歩堂に、響也は紅潮したまま言葉を続ける。
「あに、兄貴が出張に出掛けるって聞いて、それでチョコレートの美味しい店があるから買ってきて貰っただけで、だから、たまたま成歩堂さんが来たからお裾分けするだけで、」
 
 …それは、何日も前から準備をしていたと告白されているのと同じ言い訳で、無駄に成歩堂を喜ばせた。
 素直になれないところが可愛らしいというか、小憎らしいというか。本当は家なり事務所なりに、持ってきてくれるつもりでもあったんだろう。
「嬉しいよ。」
 成歩堂は素早く身体ごと振り返ると、響也の身体を両腕の中に抱き込んだ。一瞬固まった身体が、沸騰するかのように暴れ出す。

「ち、違う…アンタの為になんて用意してない!」

 必死で叫び逃げだそうとする身体を抱きしめる。もっともっと嘘を吐いてほしいなんて成歩堂は思う。僕の耳はおかしいから、どんな言葉も愛してるって聞こえてるんだ。
 ホワイトデーのお返しに思いを馳せながら成歩堂はにまりと笑った。



content/